ある開業医の話

【院長への道 ep.9 〜開業戦線異常なし】

色々と思惑通りにいかない部分が多少、、、というか、場所も開業スタイルも、そして借金の額も最初考えていた筋書きと全く変わってしまったが、兎にも角にも開業出来る道筋はついた。

出来れば、縁もゆかりもない知らない土地で、本当に自分の力だけで患者さんをどこまで増やせるか試してみたい!という気持ちもあったが、逆に上杉のおっちゃんとおばちゃんが近くに居てくれるというのは、少し心強い気持ちもあった。

開業場所が決まれば、次は〇〇会をどうするかである。入会するのか、しないのか?

【するのかい?しないのかい?どっちなんだい?】の、なかやまきんに君ばりの筋肉ルーレットである。

私の父も兄も入会していたので、自分だけ未入会でやるのは少し違うかな、、、と思った。開業する地区は違うけど、なにぶん狭い世界のことゆえそういった噂はすぐに広まるだろう。まず先に兄に相談することにした。

すると兄は、

『好きにしたらええで。別にこっちに気を使う必要ないから、サトシィの好きなようにしたらエエよ』

と、言ってくれた。

正直なところ、かなり心が動いた。支部によって金額は違うが、入会金、支部の入会金と年会費、供託金等諸々合わせると総額約500万円ほどの出費となる。

これはデカい。500万円も有れば余裕でチェアがもう一台買える。チェアはお金を生み出してくれるが、入会金なんて言葉は悪いが一円も生み出さない。それどころか、余計な仕事やしがらみまで生み出しかねない(と、この時は考えていた)。

(どうしよう、、、)

数日悩んだ末に入会する事にした。やはり、自分の生まれ育った場所でもないY市で開業するんだから、この土地に根ざして頑張って、地域医療に貢献しなければならないと思ったからだ。

あとは、やはり長いモノには巻かれていた方が何かと良いだろうという打算もあった。万が一、個別指導になった時にも、会員の方が有利だろうという少々ゲスい思惑もあったのは確かだ。

早速、Y市の会に開業と入会の意思を伝えに行く事にした。

幸い、元勤務先の院長の同級生がY市で開業しており、院長がその先生に一緒に会いに行ってくれて話を通してくれた。

院長はかなり激しい性格で怒ると手がつけられないくらい怖かったが、反面、ものすごく面倒見が良くて、今回の私の開業に関しても我が事のように色々と手を回し尽力してくれた。

院長の友人は映画俳優のシルベスタ・スタローンに似た男前で、私は密かに『ロッキー』と名付けた。

ロッキー先生は、

『Y市の会は優しい先生ばっかりやから大丈夫やで!イジワルいう先生もおらんしな。これからよろしくな!』

と、スタローンばりの笑顔でニコッと微笑んだ。私はロッキー先生がビールジョッキに生卵を五つくらい入れて飲み干すシーンを頭に思い浮かべて、思わずニンマリとして、

『ありがとうございます!』

と元気よく返事した。

また、現在では撤廃されているが、私が入会した20年前は、入会に際して現役のY市会員の先生2人の推薦が必要であった。

これは、今後同じ支部の会の中で仕事をするにあたって【この人物は会に迷惑をかけるような人間ではありません。今後何か問題を起こせば、私が対応致します】という、いわば有事の際の保証人になるという事だ。

何の繋がりもない人間の保証人を引き受ける物好きはいないと思うが、この時は私の父の友人である先生が引き受けて下さった。

父はY市ではなく大阪市内で開業していたが、やはり狭い業界なのでY市にも知人は多く、(息子が開業するから)という事で事前に根回ししてくれていた。

当然、父の友人なので推薦人を引き受けて下さった先生方はY市の中でも古参の先生で、そのうちのお一人は元会長経験者だったので、私の入会はすんなりと承認された。

【自分一人で、自分の力だけでやったるで!】

と、鼻息荒く走り出したものの、いざ動き出してみると、周りの様々な人たちのサポートと善意によって自分は助けられているんだという事を改めて感じられた。

人は一人では生きていけない。

入会に関しては、色々と意見もあると思うし、入会するかしないかはそれぞれの先生方の考えに従って決めていただければ良いと思う。

紆余曲折あったが、入会して20年経った現在の自分は【入会して良かったな】と思っている。

(この会に関する話は、本当に枚挙にいとまがないので、良い面や悪い面も含めて、また会で遭遇したオモロい先生、オモロくない先生のサイドストーリーについて、機会があればスピンオフとしてブログで書ければと思う。)

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