本当にあった怖い個別指導はなし

本当にあった個別指導怖い話6

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診療前に「先生、今日、ちょっと診療後にお話があるのですが」

スタッフからこのような話をされると、たいていは退職の話になる。

あまり気分の良いものではない。

つい先日、別のスタッフで歯科衛生士のチーフでもあり、主任の羽田彩綾(仮称)が辞職をすると告げてきたばかりだった。

今年いっぱいまで働いてくれるものの、あと残り1ヶ月を切っている。

チーフの退職を告げられてから、すぐに求人を出すものの、かれこれ1ヶ月以上は応募すらない状態だった。

もしかして、このチーフの退職をきかっけに、なだれのように大量にスタッフが退職していくのか。

色々と考えるとブルーになってくる。

診療中も求人条件を良くしようか、でも、あまりやりすぎると、既存のスタッフとのバランスも悪くなる。などと考えながら仕事すると、まったく診療が身に入らない。

診療後にスタッフと話をする。

「あのー、院長、言いづらいんですけど…」

「なに」

「さーこ、いるじゃないですか」

みんな羽田彩綾のことをなぜか、さーこ、さーこと愛称で呼んでいる。

「あー、羽田くんか。彼女がどうした」

みんなの前では羽田くんと言いつつもプライベートでは院長自身もさーこと呼んでいる。

「いえ、あたしの勘違いかも知れないんですけど、もしかしたら、カルテ、持って帰ってるような気がするんです」

「え、どういうこと」

「あたし、受付で翌日の予約患者の分のカルテを出すんですけど、最近ちょくちょく、カルテがない人がいるんですよね」

「え…。で、そのカルテは」

「でも、次の日にも探そうと思ったら、翌日にはあるんです」

「それって、つまり…」

「持って帰ってるのかなーって」

「だれが。なんのために」

「さーこでしょ。なんでか知らないけど、院長先生、何かしたんですか」

何かしたって…。この羽田彩綾とはそういう関係になっていることを知ってか知らずか、無邪気に聞いてくる。

カルテの無許可の外部持ち出しという、シビアな内容のわりには、軽い感じで言うてくるところにイラっとする。

きっとこの受付スタッフからしたら、ワイドショー的なネタに思えて、少し面白がってるのだろう。

実際に羽田彩綾には特別な感情があるため、できれば信じたくなかった。

「でも、なんのために」

「あたしも知らないから、こうやって院長に聞いてるんです」

「具体的にだれ」

「誰って、けっこういるんですよね。もう10名くらい。いや、もっとかな」

目の前が暗くなる。退職の話のほうがまだ良かった気がしてきた。

「名前、わかる?」

「あ、分かりますよ。カルテなかった人、チェック入れてましたんで」

そういって彼女からチェックの入った予約簿をもらう。

全てに共通していえることは、インプラントなどの大型自費の契約をとっている患者だ。

その一部を彼女との食事や旅行などに使っていたこともある。

昔、自慢げにそのような話を彼女にしたことを思い出した。

にわかに信じがたいが羽田彩綾に間違いなさそうだ。

「これ、他の人に言ったの」

「あー…、はい。カルテ一緒に探してもらったし」

なんとなく申し訳なさそうに答える。

「羽田くんも一緒に探してたの」

「探してましたよ。でもね、さーこだけ『また、明日出てくるでしょ』みたいな軽い感じだったので、たぶん犯人はさーこかな、と思いまして」

犯人…。

自分の付き合ってた彼女が犯人…、か。

羽田彩綾とは、3年前の個別指導がきっかけで付き合うことになった。他のスタッフよりも献身的に手伝ってくれるだけでなく、休みの日にも出てきてくれたり、一緒に最後まで残業していくうちに付き合うことになった。付き合うと同時に主任に昇格させ、待遇も良くした経緯がある。

意外に個別指導というイベントがきっかけでスタッフの団結力が高まる医院が多い。

約1ヶ月の間、同じ釜のメシを食べ、寝食をともに過ごすことで、妙な一体感が生まれることがある。指導日前日は高校の文化祭の前日みたいなお祭り感覚になる。

その高揚感の延長線上で院長とスタッフとで不適切な関係になってしまうことも後日談としてよく聞いたりする。

ただ、指導準備の興奮から醒めると、付き合いを解消することも多い。

映画やドラマで共演した芸能人がそのまま結婚するが、離婚してしまう、感じに近い。

明石家さんま×大竹しのぶ、東出昌大×杏、吉岡秀隆×内田有紀、陣内智則×藤原紀香、みたいな感じに近いのだろう。

まさに今回の院長と羽田彩綾との関係もそれと変わらなかった。

すぐにでも羽田彩綾に連絡して真意を確かめようと思ったが、なんとなくはぐらかれそうな気がしたので翌日に本人を目の前に話しをした。

「なぁ、さーこ、ちょっと話があるんだけど」

「せんせ、もう、羽田くんと呼んでよ」

今はもう吹っ切れてるのか、他人行儀になっている。

すこし、寂しい気もする。

「羽田くん、カルテが持ち出されてるみたいだけど、知らないか」

「え、なに。疑われてるの」

「いや、主任だから何か知ってるかと思って」

「しらない」

クロだ。きっと通報するのだろう。厚生局の個別指導がどれだけ嫌いか、彼女はよく分かってる。

「そうか、いや。今回の話はそうじゃなくて、今までウチに貢献してくれたから、退職金、出そうかと思って」

ピクッとまゆが動く。

なんとか、退職金で通報は阻止できそうだ。

「え、そうなんですね」

「色、付けとくからさ、これにサインしてくれる?」

そういって昨夜に作った秘密保持契約を見せる。

そこにはカルテなどの情報は外部に漏らさない旨などを記載し、通報されないようにしている。

「あの、これにサインしないと、退職金はもらえないでしょうか」

「まぁ、そもそもこんなことサインしなくても情報を漏らさないのは当たり前だし、本当は誰にも退職金なんて出ないんだけど、羽田くんだけ、特別だったからさ」

適当なことを言って、サインを促してみる。

彼女も一瞬、考え、サインしてくれた。

その当日、ワシに電話がかかってくる。

「重田先生、てことなんですわ。大丈夫ですやろか」

意外に指導通知が来る前に、このような相談を受けることが多い。

「まーなにしてもゆーやつは言いますわ。好きなように言わせたらエエんちゃいますか」

「こういう通知って通報したらすぐに来るもんですか」

「どやろ、忘れた頃ちゃうか。知らんけど。でもまー今のうちに大掃除したらエエんちゃいますか。通報する患者も分かっとるんやし、もー簡単や」

なんせ、指導通知のない指導準備ほどやる気の起こらないものはない。

「でも、30万も払ったんですで。言わへんのちゃいますか」

そんな憶測はアテにならない。

「それやったら、ワシ、いらんやろ」

「いや、…」

「まーなんせ、おもんないわ。何かあったら、また連絡もらってよろしいか」

「わかりました」

その翌日、電話をみると着信履歴が全てその先生で埋まっている。

留守番電話にも「かけ直してほしい」と同じ用件で埋まっている。

嫌な予感しかしない。

恐る恐るかけ直してみると、

「重田先生、来ました、来ました、来ましたで」

あまりにも興奮しすぎて電話口では何を言うてるかよく分からない。

てか、そもそもそんなに早く来るわけがない。

何を言うてるかよう分からなかったが、とりあえず、来てほしいということだった。

めんどくさい。

歯科医院に到着すると、院長が憔悴しきっている。

興奮したり、憔悴したり、メンドくさい先生や。

「これですわ、重田先生」

見てみると、厚生局宛の封筒にカルテのコピーがたんまり入っている。

差出人は彼女だ。

「なんやこれ」

「通報しとったんですわ」

「知ってる。何であるんや」

「切手代、10円足らんて。数グラム、重かったみたいや」

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