場所も決まって、気の置けない腹心のスタッフも出来た。あとは、建物の完成を待ってガムシャラに走り出すのみ。
3月に前の職場を辞め、半年後の9月に開業できるつもりでスケジュールを立てていた。
出来れば、医院が完成したらすぐにでも仕事を始めたい。だって、借金の返済はもう借りた時点からすでに始まっているのだから。
最終的に借金は、土地と建物の購入資金を地元の信用金庫から。ユニットやレントゲン等治療に必要な機材、そして治療器具や備品関係と運転資金については国民生活金融公庫(現:日本政策金融公庫)、いわゆる国金から融資を受ける事が出来た。
開業するぞ!と決めてから、国金からお金を借りるために、今更だが毎月10万円ずつ貯金をし、税金と公共料金の引き落としを毎月行う口座を作った。開業を思い立ってから始めたものだから、たかだか半年ほどしか実績のない通帳だったが、それまでの3年間の歯科医師としての勤務実績、実家の財務状況、また購入した土地建物の資産価値等を考慮してか、希望していた通りの金額を融資してもらうことが出来た。
政策金融庫の融資は、銀行や信金で融資が受けられなかった人にもチャンスはある。特に歯科医師などの資格持ちで、よっぽどカードローン等でブラックな履歴がなければ審査は通る可能性はあると思う。
国金からの融資に関しては、返済の猶予期限を設けてもらえることもあり、その場合は半年から一年ほど利息のみの返済でOKだ。特に最初の数ヶ月は全く収入がないので、これは物凄く助かる。
とにかく、そう言うわけで一刻も早く自分の医院で働き出したいのだが、ところがここで思わぬ横槍が入った。
会の入会は認められたものの、9月の開業は急過ぎてダメだと言う。そこから半年待って来年の4月なら良いと言うじゃない。理由は、『そういう決まりだから』というよくわからない理由だった。しかも、入会はまだ正式に理事会の承認が下りていないので、それが決まるまでは医院の工事もしてはいけないとの事。
そんなアホな!
そんなもん待ってたら、9月には間に合わんし、信金からの月々の借金返済はもう始まってるんやで。怒るでしかし。
『わかりました!』
と、その時は適当に返事をし(どうせわからんやろ)と工事を勝手にはじめたら、しばらくしてから会から電話があり、
『会員の先生から、もう工事始めてるって報告あったけど、どないなってるんですか?』
と言うじゃない。こわっ!スパイかよ。いやらしいなぁ。この時、ちょっと会の洗礼を受けた気がした。
『いや、診療所の2階に住むので、先に住宅部分の工事始めてるんですよ。一階の診療室部分にはまだ手をつけてませんから』
と、苦しい言い訳をして、なんとかその場を乗り切った。
これは本当に勝手に9月に診療をはじめたら何を言われるかわからないぞ、と思った。そうなると、保証人になって下さった2人の先生にも迷惑をかける事になる。
ちくしょー、うまいこと出来たシステムやで。もうこうなったら仕方ない、半年間はバイトをして食いつなぐ事になった。
たまたま、病気になって急遽代診を探している先生がいると先輩から紹介されて、半年間の期限付きで京都の歯科医院にお世話になることになった。
通勤で片道2時間かかるので、朝5時に起きていかなければならず、また勝手もわからない医院で働くのは大変だったが、院長の奥様やスタッフの皆さんもとても良い方で、良い経験をさせてもらった。
一番思い出に残っているのが、その院長先生の息子さんとの事だ。彼はその時たまたま無職でプータローみたいな事をしていたのだが、その息子の部屋が私の昼寝部屋として提供された関係で、プータロー君は私の事を『俺の部屋で昼寝しやがって、あいつめ!』と敵視していたらしい。
しかし、最後の勤務の日に私がなんとなくプータロー君を飲みに誘って、そのままなんとなく2人で居酒屋に行って色々と話をした。そこで何故か私の話にえらく感銘を受けて、
『俺、歯医者になるっす!歯科大うけるっす!』
と彼は、ビールで顔を真っ赤にしながら言ったのだ。
あれから20年。
風の便りで、その院長先生は亡くなったと言うのは聞いた。息子君が歯科大に行って歯医者になったのかどうかはわからない。
でも、もし彼が歯科大に行って歯医者になっていたら、もう一度会って飲みに行きたいものだ。そして、こう言いたい。
『な、やっぱり歯医者になって良かったやろ』