人間には、他のあらゆる罪悪の根源となる二つの罪悪がある。
すなわち【焦燥】と【怠惰】
[フランツ・カフカ]
(チェコの小説家、1883~1924)
焦りと苛立ち
初日こそまずまずの滑り出しを見せたサトシィ歯科だったが、2日目以降は見事なほどに閑古鳥が鳴きっぱなしであった。
朝10時から夜の9時まで丸一日開けているのに、1日の来院数が一桁という日が続く。
勤務医時代は、院長と2人で1日100人以上の患者さんをみていたので、あまりの落差に呆然としつつも、最初の頃は、
『今までが鬼ほど忙しかったから、ちょっとゆっくりできてええわ。スタッフも歯科業界未経験者ばっかりやし、今のうちに色々練習したり勉強してもらお。』
と、すこし余裕をぶちかましていた。
しかし、その強がりも長くは続かず、次第に焦りの色は濃くなっていく。
自分の計画性の無さから雇いすぎ、ムダに数だけ多いスタッフ。しかも業界未経験者のためほとんど何もできない。
患者は来ないから収入がない、しかし人件費や、光熱費の固定経費はお構いなしに出て行ってしまう。
栓をしていない風呂桶に、蛇口から水をジャブジャブ注ぎ続ける、そんなイメージが頭をよぎる。
(なんとかせんとなぁ、、、)とは思いつつもひたすら患者さんを待つことしかできない。
『ちょっと誰か外出て、ガソリンスタンドの店員さんみたいに大きい旗振って患者さん誘導してきてくれよw』
なんとか雰囲気を変えようと放った精一杯の軽口も、診療室の乾いた空気に飲み込まれ虚空の中へ消えていった。
午前中に2人ほど診療して、午後は3時間ほど空き時間があり、夕方7時を過ぎて学校や会社が終わった頃にポツポツと予約が入る。
患者さんが来ないから、当然点数も上がらない。
月曜日 患者数5人 保険点数4730点
火曜日 患者数8人 保険点数3844点
水曜日 患者数6人 保険点数2980点
こんな日が毎日続く。
自分の給料が出ないどころの騒ぎじゃない。
これじゃスタッフの給料も出せない。
怒涛の大赤字。
マッドマックス赤字のデスロード。
開業前には、
『患者さんが1日10人来てくれて、日に10000点上がれば良しとしよう。自費なんて水物やから期待せず、希望する人がいてたらラッキーくらいに思っとこ。それで1ヶ月に22日稼働して、22万点。レセ枚数は150枚いったら上出来。初月はちょっとハードル低めで、そんな感じで行こう!』
と、取らぬ狸の皮算用していたのだが、蓋を開けてみたら全然おもてたんとちがうー!
結局、初月の結果は
【レセ64枚 保険点数107,106点 自費0円】
という、レセ枚数も点数も低めに見積もったハードルをクリアどころか、半分にも届かないなんとも寂しい結果となった。
月の最終日、レセコンの集計作業のレクチャーに来てくれたレセコン会社の社員さんに、当然初月の結果を見られるわけだが、その時に、
『これって、ぶっちゃけどうですかね〜?』
と尋ねると、少し困った顔をしながら、
『んー、まあ初月ですからね。いいと思いますよ。』
と、慰めとも励ましとも取れない、微妙な言葉をかけてもらった。
流石に、楽天的な性格でいつも『何とかなるやろ!』で乗り切ってきた自分でも、胃がキリキリと痛み出した。
得体の知れない焦りと不安が、足元からジワジワと這い上がり、心臓のあたりまで侵食し始めたような気がした。
焦りは苛立ちを呼ぶ。
この焦燥感が、まさかあんな事件を引き起こす事になるとは、、、。
〜続く〜