ある開業医の話

【院長への道 ep.1 〜開業戦線異常無し】

自分は卒後4年で開業した。同級生の中でもかなり早い方で、多分2~3番目くらい。

自身は歯医者の息子だったが、4歳上の兄がおり、彼は既に歯科医師になっていた。

実家の診療所は、父親と兄、そして自分の三家族が生活していけるほどの稼ぎを生み出せる規模の診療所ではなかったので、

早い段階から自分は独立し自分の医院を作らないといけないんだろうな、と漠然と考えていた。

ただ、こんなにも早く開業する予定ではなかった。

なぜ開業時期が早まったかと言うと、研修医終了後に勤めた医院が激務すぎたからである。

俗に言う『保険ぶん回し型』の医院で、毎日終わる時間が終電ギリギリ。

身も心も疲弊して、このままでは肉体も精神も潰れてしまう、自分が自分でなくなってしまうと思ったからだ。

幸い、院長やスタッフは良い人ばかりだったので人間関係で悩む事はなかったが、

駅前の立地のため、新患、急患がひっきりなしに訪れ、それを断る事をしないため予約制なのに予約がまったく機能しない医院であった。

予約時間通りにきた患者さんが1時間待ちと言うこともザラで、怒って帰る人も多かった。

それがものすごく自分にとってはストレスだった。

しかし、そんな医院だったが、駅前の好立地に加え、

夜9時まで診療と院長の人当たりの良さや治療技術の良さも相まってか順調に患者数は増えていった。

そんなある日、院長が

『患者も増えてきたことやし分院を作ろうと思ってんねん。サトシィ分院長をしてみいへんか?』

と声をかけてくれた。

そこで、少し考えた。

(分院長で経験を積んだら、自分で医院を経営する時のシミュレーションができるな)

と思った。ただ、こうも考えた、

(お金も場所も準備してもらって、2~3年働いて、ハイさよなら、、、ってわけにはいかんよな)

やはり道義上最低5年は働いて、後進のドクターを育ててからじゃ無いとやめるにやめられない。

それなら置かれている状況は今とたいして変わらないし、

なんだったら責任だけが増大し、

ますます大変なことになるんじゃなかろうか?

だったら自分で借金して、上手く行っても失敗しても自分の責任で全てを出来る方が良いな、と思った。

そんなこんなで、自分が思ってたよりも随分と早く開業する事になった。

若いという事は、時に恐れを知らないものである。

その時はまったく自分が失敗するとは思わなかったし、なんの根拠もない自信があった。

そしてこれこそが『若さ』というものなんだろう。

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