開業を決めたは良いが、周りにまだ開業している同級生はいなかった(正確には父上が急逝され、急遽実家を継承した同級生は1人いたが、完全にイチから新規開業という人間はいなかった)ので、全てが初めてで、手探りの連続だった。まずは場所探し。
勤務先に出入りしていた歯科材料屋の担当の人に『良い場所がでたら教えて下さい』と伝えておくと、いくつか候補を持ってきてくれた。休みの日に現地へ向かい、日中の人の動きや、近隣の歯科医院の様子を偵察に行く日が続いた。当然、人が多くいて、周りに強力なライバル医院が無い方が良いに決まってる。
しかし、そんなユートピアのような場所はない。万が一あったとしても、いずれそんな場所は同業の競合がこぞってやってくるのは間違いない。色々と妥協しながら将来性を考えて総合的にここが1番良い!と思える場所を決定するのに3ヶ月を要した。次は開業資金だが、驚く事に私はまったく貯金がなかった。
もらった給料は、ほとんど飲み代やゴルフや遊興費に消え、宵越しならぬ月越しの金は持たない主義だった。今となっては考えられないが、まったく将来の事は考えていない、今が楽しければ良いという刹那的な生活をしていた。恐ろしい事である。
では、どうやって開業するのかというと、銀行から借りれば良いや、ととても簡単に考えていた。私の実家は決して太くはないが、父は開業歯科医で実家と診療所があるから、それを担保にお金を借りよう!と明治のスナック菓子カールの食感くらい軽い気持ちで考えていた。ところが、事はそんなに簡単に運ばなかったのである。
自分の生まれた年代は『就職氷河期世代』と言われ、バブルがはじけて消費が落ち込み始め、何となくどんよりとした不安が漂い始めた、そんな時代であった。自分は一応、世間で進学校と呼ばれる高校を卒業し、優秀な同級生が多かったが、そんな人間でも自分の希望する会社に就職できず、燻っているのを目の当たりにしていたが
『まあ、歯医者はまだいけるやろ』
という、何の根拠もない自信を持っていた。しかし、歯科業界にも間違いなく不況の波は押し寄せており、明らかに父の『歯科黄金期』、兄の『バブル期』とは違う空気を感じずにはいられなかった。
自分が選んだ開業候補地は、大阪の衛星都市の一つS市で、人口も多く、周りの状況や人流を見ても、これからどんどん発展しそうな『ノビシロしかないわっ♫』な場所だった。現在建設中の新築マンションの一階で、40坪で月の賃料が50万円。めっちゃ安くもないが、めっちゃ高くもない。
まさに『ちょうどいい塩梅』の設定で、駅からは多少離れていたが、何より【新築】【一階】そして、極め付けがオーナーの【医療職の人に貸したい】という希望だった。これっきゃないだろう!早速、家主さんとの面談の約束を取り付け、この時点でやっと自分の両親に開業計画が進んでいる事を打ち明けた。
何かに夢中になると、目の前のことしか見えなくなるのが自分の悪い癖だ。この時までは、自分の実家には金があると思い込んでいた。母親はよく『うちにはお金がない、カツカツや』と言っていたが、『またまた、そんなこと言うてホンマはあるんでしょ』と本気にしていなかった。