「で、ホンマに気付かへんかったんか?」
<だから、何遍も言ってるやろ!しつこいねん、ホンマに。>
「いや、知らんふりしてスルーしてたんかな、と思ってな。」
<そんな事して何のメリットがあんねん。>
「いや。何の症状も出てさえいなければ、損傷してないのと一緒かと思ってな。」
<お前ってヤツは…そんな希望的観測はいらんねん、さらに余計なトラブルを招くだけやろが。>
「いや。だからって、気付かへんのもどうかと思うんや。」
<だから、患者自身や術野に大きな変化が見られへんかったんや。だから、気付きたくても気付かれへんかったんや。>
「いや、歯科医師としての感覚ってもんがあると思うんや。」
<歯科医師としての感覚?>
「せや。」
<技官風情が生意気言うやないか。どないなもんか、聞かせてもらおか。>
いちいちマウントを取らな気が済まんのかいな。確かに技官は、臨床から随分と離れている存在だ。歯科医療そのものについて議論を交わせば、臨床医に及ぶ事は無いだろう。
だからと言って、個別指導にそのスタンスで臨めば、痛い目を見るだけや。
なぜなら個別指導は、臨床では無くあくまで「保険のルール」内での懇談だからだ。臨床医の正義が通じる世界では無い。技官の胸先三寸で先生方の生死が決められるんや。
これもくどいようだが、個別指導には青本の知識を詰め込んで臨んで頂きたい。そうする事で、「保険診療のルールについて懇談形式で周知徹底を図る」という個別指導本来の目的が額面通りに行われるための第一歩となるのだから。
「ドリリングの手指感覚や。」
<・・・>
「海綿骨をゴリゴリいってるんやったら、神経(軟組織)に触れたら分かると思うんや。」
<・・・>
「ほら。オレ達が歯科医師免許取りたての頃って、まだグローブ付けずに素手で処置させられた事無かった?」
<あったような無かったような・・・>
「理由としては、直接手指で触る事によって歯科治療の感覚を身に付けるためや、て当時の院長先生に言われたわ。」
<そんなん、出鱈目ちゃうんか。>
「ホンマのところは分からん。自分でも素手でやって、特別な感覚が身に付いたかどうかんて、分かれへんからな。」
<じゃあ、そんなんやった意味ないやんか。>
「まあ、ブラジルのサッカー少年がスパイク履かずに素足でボール蹴るようなもんや。本番ではスパイク履いてサッカーする訳やからそもそも意味あるんか、て。歯医者も結局はグローブ付けて仕事するんやから、最初からグローブ付けろや、て話かもしれん。」
<ほら、意味ないやんけ。>
「でもな、そのおかげで感覚ってもんは意識するようになったで。意識さえすれば、何かにつけていつもとの違いが分かるようになるもんやと思うんやけど。」
<んなもん、ただの精神論やないか。>
「いや、そうやったとしても。このケースって、業務上過失致傷になるんちゃうか?」
<・・・>
ふと気付くと、野崎の口が金魚のようにパクパクしていた。