メニュー表を見る。狙い通り、この喫茶店には
アルコールが置かれている。
景気付けに赤玉ポートワインを頼む。昔懐かし、
ジュースみたいなワインや。
酔っぱらわずに真面目な話に対応できる優れものやで。
大昔の先生は、抜歯した後の患者にちょびっと飲ま
せる事があったみたいやな。引いた血の気を取り戻
す効果があったらしいで。知らんけど。
それに対して野崎は冷コーを頼んだ。アイスコーヒ
ーの事だ。ウケを狙ってかどうか、未だにメニュー
に冷コーと表記されている店が点在している。
何から何まで昭和の雰囲気を醸し出している喫茶店や。
ちなみに大昔の大阪では、【喫茶】と書かれている
店は、今でいうキャバクラみたいに女性が接客する
店の事を指していた時期があるらしい。
飛田新地が【料亭】扱いされているようなものか・・・
知らんけど。
となると、普通にドリンクと軽食を提供する店に
とっては、紛らわしくて敵わん。
そこで、区別するために【純喫茶】て表記されるよ
うになった訳や。【純】が付く意味がイマイチ分か
らんかったけど、これで合点がいったで。
そんなどうでもエエ事を考えているウチに、ドリンクが運ばれてきた。
よく見ると、マスター、従業員みんな目がイッている。
この店大丈夫か?と不安になりつつも、Vシネ気分
で丁度エエわ、と気持ちを切り替え本題に入る事にした。
「で、下歯槽神経麻痺はどのタイミングで発覚したんや?」
<埋入翌日のSPの時にな、ちょっと痺れるんですけど・・・て言われてな。>
「まあ翌日に痺れる感覚残ってるのは、たまに遭遇する事でもあるやんか。」
<せやねん。>
「もちろん心臓には悪いけどな。」
<せやねん。でも、そんなんいちいち気にしとった
らインプラントロジストの名が廃るやろ。ガンガン
いこうぜ!や。>
ドラクエの作戦みたいに言うな。
てかインプラントロジストって。そういうのは客観
的に評価される事であって、自分で言う事ではないと思うが。
今思い返すと、オレも含め年齢的にも一番ガンガン尖
っている時期だったのだろう。当然攻めたい気持ちが
強いから、トラブルも付いて回ってくる。
どこの世界でも、若手あるあるやな。
それを経験して乗り越えない事には一皮剥けへん
モンやから、人生そんな甘くはないな。
「そこからどういう経過やったんや?」
<十日後の抜糸時にな、創部はバリバリ良好なんやけど、やっぱり痺れるって。>
「それはキツいな。オレやったら心臓が張り裂けそうな気分になるわ。」
<おうおう、えらいチキンやないか。そんなんで技官が務まるんか?>
またか、マウント取るのが好きなヤツや。お前は、ヒクソン・グレイシーか。
まあエエ、オレには全く害の無い話やからな。どこまでも強気でいってもらおか。
野崎が冷コーを飲もうとしたその時、グラスを持つ
手が小刻みに震えているのを見逃すはずはなかった。
言葉とは裏腹に、焦っている事だけは確かなようだ。
